2009.02.04
生命保険の基礎知識(12)また予定の話・優先順位
みなさん、こんにちは。歳をとるにつれて時の経つのは早いものと、相場が決まっていますが、記憶が忘却の彼方に飛んでいくのも実に早いものです。年末恒例の、この一年を振り返る的なテレビ番組を見て、いかに忘れてしまったことが多いことか驚くほどです。筆者だけでしょうか。かといって、年末現在印象に残っていることが、その年の一番重要な事というわけでもないようです。心理学者は、最近の経験が一番よく覚えていられるという、身も蓋もない事を言っています。
そういう科学的実験とは別として、アガサ・クリスティの短編集には、ある過去の事件について、冬の夜、集まった関係者各々が覚えている事実の断片を語り合ううちに、皆の疑問(いったいなぜあの事件が起こったのか)を解く隠された真実、その結果として現在進行中のさらなる事件が鮮やかに立ち上がってくるという物語があり、一読忘れがたい印象を残します。
さて、前回(2008年11月5日掲載)はゆったり家の平成20年の予定表を見てみました。しかし、予定はあくまでも予定に過ぎないわけです。実際には何が起こるかは誰にも分かりません。そこでゆったり家に起こりうる予定外の事態を挙げてみたのが前回の表です。
しかし
生命保険の加入目的=家庭の主たる稼ぎ手に万一のことがあった場合に、残された遺族が、現在予定している家族のライフイベント(人生途上での種々な出来事)を滞りなくこなしていくに足りる金額を、保険金で賄う
のだとしますと、やりたいこと全てに保障をつける=生前の世帯年収と全く同じだけの保険金を受け取るだけの保険料を負担すると一体いくらかかるでしょうか?保険料には、保険会社が提供する助け合いシステムを維持するための費用も含まれています。(生命保険の基礎知識(3)で保険料の構成を説明しました。)それを考えれば、やりたいこと全てに保障をつけるとすれば、保険金額が大きくなり過ぎ、それに伴って、支払う保険料も、現在の年収に対して大きくなり過ぎることは、容易に想像がつきます。現実的ではありません。それで、もし現在の生活が苦しいとしたら、話が逆ですね。でも、ご自分の現在加入している生命保険がそういう状態になっているのに気が付いていないご家庭も案外多いのではないでしょうか。昨今FP(ファイナンシャルプランナー)による保険の見直しを利用する方が増えているとも耳にします。
さて、なぜそんなことになるのかと言えば、最初に生命保険に加入するとき、
- 家庭の予定表をきちんと作ってどんなイベントにどれだけの保障を付けるのかを考えなかった。
- 予定表は作ったが、優先順位をつけられず、全部に保障をつけようと欲張ってしまった
- そもそも予定表が予算オーバーだった。
等々の理由が考えられます。
いずれにせよ、家族に万一のことが起こった方が、皆が無事でいる時よりも残った家族の収入が多くなるなんて事がもし起きたら、おかしな話ですね
筆者が子どもの頃、近所に住んでいた遠縁の女性が、トラックに巻き込まれて亡くなりました。駆けつけた筆者の両親が、「顔の片側だけは綺麗なままだった」と話しているのを耳にして、恐ろしい思いをしました。
この女性の亡くなった後、寡夫となった彼女の夫は、もう成人していた子ども2人と一緒に遠くへ引っ越して行ったのですが、すぐに再婚し、暮らし向きはかえって良くなったという噂を耳にしました。「死ぬ者貧乏だねえ」と母がつぶやいたのも覚えています。
他にも、やはり筆者が子どもの頃のことですが、近所の人で、先述の遠縁の女性の場合とは逆にご主人の方が亡くなりました。奥さんとお子さん(こちらは未成年)が残されましたが、奥さんは働きに出るでもなく、むしろ身なりが良くなったという噂がありました。二つの噂話に共通するのは、豊かさの理由として、配偶者の生命保険が下りたからだとされていた点です。
もちろん、どちらも筆者の子どもの頃耳にした話ですから、事実はどうだったのか、今となっては、分かりません。再婚した女性がよく稼ぐ人だったのかもしれませんし、残された奥さんは、華美を好まないご主人の趣味に合わせていただけだったということなのかもしれません。むしろ、保険金で儲けたと言わんばかりの卑劣な中傷だった可能性が大きいと思います。世の中には、自分よりも不幸だと思われる人を更におとしめることで優越感を得ようと、常に不平不満のはけ口を探している人々がいるものですから。
しかし、話を元に戻しますと、万一の事態に対して、全てを自分たちの自助努力だけで賄おうと無意識のうちに考えていませんか。保険制度が助け合いからできているように、国の制度は、本来は助け合いの必要性からできたはずであるので、各種の社会保障制度というものがあります。
以前下記のようなルールを示しました。
ここに更に追加します。
すなわち、社会保障で賄える分は、個人で賄おうとしなくても良いのです。社会保障には、様々な種類がありますが、このコラムで他の先生方が担当されている公的年金もその一部です。
その前に、また予定表の話に戻りますが、ここで書いていただいた予定表には、金額の制限を付けませんでした。しかし、実際には年収の上限から、優先順位を付けざるを得ません。優先順位を付けるにあたって、自分の(もしくは自分と家族との)欲(希望)と欲(希望)とがぶつかり合う事態が起こりえます。
欲もしくは望みがぶつかり合う状態を葛藤と呼ぶことがあり、心理学の理論の中には、葛藤を三つに分類する考え方があります。三つの型には
- 接近-接近型
- 回避-回避型
- 接近-回避型
という名前がついています。
項目1の「接近-接近型」とは、二つ以上の選択肢があり、できれば全てを得たいが、どれか一つに絞らなければならないという場合です。
例えば、あなたの親が、将来あなたが今の勤務先を辞めて故郷の親元に帰り、実家で年老いた自分たち及びその両親(あなたの祖父母ですね)の面倒をあなたの配偶者に見てもらいたいと望んでいたとします。しかし、あなたの配偶者は転勤の無い、たとえば県立高校の教員で、今の仕事を生き甲斐にしているとします。あなたは両親の良い子どもでありたいし、配偶者にとっての良きパートナーでもありたいというわけで、悩むことになります。
項目2の「回避-回避型」とは、二つ以上の選択肢があり、どれも避けたいが、それができず、どれかは選ばなければならないという場合のことを言います。
例えば、あなたの勤務先が大幅なリストラのため、希望退職者を募っていて締め切りが迫っています。あなたは今のところ、退職した場合、次の仕事の予定が立っていません。しかし、あなたの事業部は他の会社に売却されることが決まっているのに、労働条件がどのようになるかはまだ明らかではありません。しかし、どちらにするか希望だけは提出しなければなりません。
項目3の「接近-回避型」とは、ある目的が正と負との両方の要素を持っているか、目的を達するためには、イヤな思いをしなければならない状況にあることを指します。
例えば、あなたがダイエットを成功させてメタボ体型から脱却したいと思っているとします。それが必要であることは、あなた自身頭では分かっているし、あなたの健康を損なう危険が少なくなれば、愛する家族の望みを叶えることにもなります。しかし、実際に食事のカロリー制限をしたり、運動をしたりするのは、美食家で運動嫌いのあなたにとっては辛いものです。
余談ですが、グリム童話には、怠け者の娘や青年が、働き者の娘や青年に宝探しで負けるだけでなく、妖精や小人の罰を受けるという話がたくさんあります。正しい青年というものは、ドラゴンと戦って美女と宝物を手に入れるものなのです。これは青年期の成長課題を表しているという説もあります。対して、日本の三年寝太郎のような物語は、世界でもあまり例の無いものだそうです。また、けっして見てはいけないと言われた禁断の部屋を見てしまう「見るなの屋敷」系の物語(鶴の恩返しもその一例)も、日本では禁断の部屋を見たからといって、それまで受けていた神の恵みを失うだけで、重い罰が待っているわけではないようですが、ヨーロッパですと、ご存じ「青ひげ公伝説」となり、血で血をあがなう物語になってしまいます。どうも、肉食系のヨーロッパ人と草食系の私たちとは、文化の深層を語る昔話でも、かなり異なっているようです。